2013年11月25日月曜日

旧東海道57次 52番・草津宿~51番・石部宿~50番・水口宿

 
 草津宿には、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠70軒があった。ここ草津宿は、
 
平安時代からあり、東海道と中山道の分岐点であった。
 
日本五街道の最幹線で、東海道と中仙道との分岐点である。トンネルができるまでは、
 
この上の川を越せば中仙道へ、天井川である旧草津川をトンネルで抜けると追分に至るが、
 
トンネルができたのは明治19年のことである。右へ曲がれば東海道伊勢路へと行けた。
 
ここは草津宿のほぼ中心部で、この付近は追分といわれ高札場もあり、
 
旅人にとっては大切な目安であった。 
 
 
2013/3/30草津第一ホテル前 旅立ちは、早立ち

Am6:30

 無事旧東海道の道筋に出ました。
Am7:02


 東海道 やせうま坂


 Am7:05  落ち着ける町並


Am7:36      すずめの茶屋跡地


 Am7:41  jR手原駅


 Am7:52  東海道街づくり

 Am8:01  間の宿 六地蔵

 東海道 名所、梅の木


 Am8:06

Am8:36    薬師如来堂


 Am9:30
石部宿
本陣2軒、脇本陣0軒、旅籠32軒の宿場であった。

ここ石部宿は、京都を朝立つと石部に夕方着くことから「京たち石部泊まり」と言われた。
 

 見附は、桝形城門の俗称で、番兵が通行人を見はるところから、「見附」といった。
 
街頭の出入口にも見付が構築されたが、それは土手状のもので、
 
石部宿の場合、東西二ヶ所にあった。見付の西側には、目見改場がそれぞれ設けられている。

 

 Am11:00   此処でカメラを忘れたかな?

 Am10:37 天井川

 日本橋から116番目の一里塚。
 
 


 Am10:57

 JR三雲駅

 Am11:58    横田常夜灯 東海道13の渡し場、難所の一つに数えられる
 
         横田の渡し場。

 pm12:17

 pm12:25



pm12:34           泉の一里塚




 pm1:02              松並木が茂っていたそうだ。

 pm1:14                 
酒屋

 
林口一里塚 南方にあったが水口城の整備に伴い東側に移った
 
pm1:22

水口石・・・東海道に面した小坂町の曲り角に伝えられた、大石 「力石」
pm1:30

水口宿は、天正13年(1585)の水口岡山城築城の際に形成された城下町として、
 
江戸時代には東海道を中心とした特徴的な「三筋街」として発展した
 
pm3:30
 
本日の旅は 此処まで、水口宿には泊まらず 帰ります 
 
近江鉄道で 貴生川まで行き草津に向かいます
 
草津より・・・京都に宿泊
 
明日は・京都観光です

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