草津宿には、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠70軒があった。ここ草津宿は、
平安時代からあり、東海道と中山道の分岐点であった。
日本五街道の最幹線で、東海道と中仙道との分岐点である。トンネルができるまでは、
この上の川を越せば中仙道へ、天井川である旧草津川をトンネルで抜けると追分に至るが、
トンネルができたのは明治19年のことである。右へ曲がれば東海道伊勢路へと行けた。
ここは草津宿のほぼ中心部で、この付近は追分といわれ高札場もあり、
旅人にとっては大切な目安であった。
2013/3/30草津第一ホテル前 旅立ちは、早立ち
Am6:30
無事旧東海道の道筋に出ました。
Am7:02
東海道 やせうま坂
Am7:05 落ち着ける町並
Am7:36 すずめの茶屋跡地
Am7:41 jR手原駅
Am7:52 東海道街づくり
Am8:01 間の宿 六地蔵
東海道 名所、梅の木
Am8:06
Am8:36 薬師如来堂
Am9:30
石部宿
本陣2軒、脇本陣0軒、旅籠32軒の宿場であった。
見附は、桝形城門の俗称で、番兵が通行人を見はるところから、「見附」といった。
街頭の出入口にも見付が構築されたが、それは土手状のもので、
石部宿の場合、東西二ヶ所にあった。見付の西側には、目見改場がそれぞれ設けられている。
Am11:00 此処でカメラを忘れたかな?
Am10:37 天井川
日本橋から116番目の一里塚。
Am10:57
JR三雲駅
Am11:58 横田常夜灯 東海道13の渡し場、難所の一つに数えられる
横田の渡し場。
pm12:17
pm12:25
pm12:34 泉の一里塚
pm1:02 松並木が茂っていたそうだ。
pm1:14
酒屋
林口一里塚 南方にあったが水口城の整備に伴い東側に移った
水口石・・・東海道に面した小坂町の曲り角に伝えられた、大石 「力石」
pm1:30
水口宿は、天正13年(1585)の水口岡山城築城の際に形成された城下町として、
江戸時代には東海道を中心とした特徴的な「三筋街」として発展した
本日の旅は 此処まで、水口宿には泊まらず 帰ります
近江鉄道で 貴生川まで行き草津に向かいます
草津より・・・京都に宿泊
明日は・京都観光です
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