2013年3月2日 食い倒れの町大阪に・・
通天閣・道頓堀・観光して お好み焼き&串カツ&たこ焼きと・
面白楽しく過ごしました。いよいよ東海道の旅の始まりです。
今回は、57次ですので 京都にはよりません伏見・山科から大津宿に
4宿場の歩きの記録は吾輩のホームにあります、
大津宿からの公開となります。
2013年3月29日 大津宿に舞い戻りました。
大津宿には、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠71軒があった。
宿場町と琵琶湖の物資が集散する港町の機能を併せもった大津宿は、
東海道五十三次の宿場の中でも最大の人口を有し、大変賑わっていた。
大津宿には、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠71軒があった。
宿場町と琵琶湖の物資が集散する港町の機能を併せもった大津宿は、
東海道五十三次の宿場の中でも最大の人口を有し、大変賑わっていた。
大津宿 Am11:25 昔の面影の残る旧道筋
旧東海道 57次 案内板が助かります・
午前11:26
常瀬川 此処は街道一の名所 西は極楽 東は平安浄土境を流る
常瀬川「黄泉の国の川」三途の川
午前11:30
義仲寺がある。 言わずと知れた木曽義仲の菩提寺で,松尾芭蕉もここに葬られている。
午前11:42 中山道の時に説明でした
芭蕉の使った杖が展示されている。 小ぶりで細い杖である。 庭には,木曽義仲の墓。
その隣には愛妾巴御前の供養塔。 平清盛死後に起こった源氏の一斉蜂起で,
京都に一番乗りした義仲であるが,このことが後白河院と鎌倉の源頼朝の反感を買い,
ついには攻め滅ぼされてしまう。 この非運の武将を慕い続けた松尾芭蕉の墓は,
彼の遺言通り,義仲の墓の少し奥に建てられている。
午前1:52
前回はお寄りして、アユの佃煮他を購入して 宿屋でつまみにしたが
今回はパス・・・
午前11:52
Pm12:10
Pm12:30
Pm12:52 1号線と旧道の交差点
石山寺行京阪電車
瀬田の唐橋
常夜燈。 橋手前の左側に,勢多橋竜宮秀郷社。 かつてこの辺りに住んでいた大ムカデを退治した伝説のある,俵藤太(藤原秀郷)を祀る。 藤原秀郷は,平将門を討ち取った人物。
Pm12:55
山形屋重右衛門 レストラン うなぎと会席
中山道旅の時に寄ろうかと迷い 今回は・・お寄りしましたよ
Pm1:05
石焼きまむし 名物です う~ん美味い・・・
Pm1:50
再び、旧東海道に戻りました。
Pm2:06
すぐに橋を渡るが,この橋の名が一里山橋。 この辺りの地名も一里山。
一里塚趾の碑がある。
上下2つの池があり,その名の由来は,月輪禅閣藤原兼實の荘園があったためとも,
池に映る月が美しいからとも言われている。 池の前には立場跡の標石。
Pm2:30
pm2:47
此処から草津宿
かつては泉が湧き一面に萩が咲いており,江戸時代になっても旅人の喉を潤していた。
しかし,今は小さな公園の中で湧き水が復元されているのみである
Pm3:01
草津宿のご案内版
Pm3:10
Pm3:22
- 名所図会などにも描かれている「うばがもち」を商う茶屋(うばもちや)があった。
- 現在は国道1号線沿いに移転している。名物の「うばがもち」は、
- 駅のコンコースや駅前などの店舗で購入できる。姥が餅屋の跡地には、
- 現在「瓢泉堂」という瓢箪を商う店がある。また、この角が「矢橋道(やばせみち)」との分岐点である。矢橋から大津へ向かう琵琶湖の渡し船(矢橋渡し)は、瀬田の唐橋へ回るよりも速く、距離が短くすむことから人気があった。
高札場とここにも常夜燈の道標がある。
左 東海道いせ道 右 金勝寺志がらき道
Pm3:46
草津宿、52番目の宿場である。現在は滋賀県草津市。本陣は国のっ史跡に指定されている。
中山道が、ここで合流する。
中山道との合流点に至る。ここで左折し、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、
最後が宮町である。中山道からは、天井川である旧草津川をトンネルで抜けると追分に至る
草津川も,天井川である。 通った橋以外では,川の下をくぐる道が多い。
本日の旅も草津で終わる
大津から~草津まで短いようですが
中山道の時歩いてますので 気楽に歩けたかな。
明日は 水口までは歩きたいかな?
Pm4:55
本日の旅籠 草津第一ホテル到着です。
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