江戸から数えて 30番目の宿場町
新居宿から渡し船で 1里
舞阪の渡しはうるさくはなかったようです
もともと舞阪と新居は陸続きにあり、明応・永世年間(1492~1521)の地震などによって、
浜名湖の地峡が決壊して『今切』と言う開口部が出来た。
その後、宝永4年(1707)に大地震が起こり、新居宿や渡船は大きな被害を受けるようになった。
これを機に迂回路として使われるようになったのが姫街道。
新居の関所は結構うるさいとゆわれていたようです
「今切の渡し」で、西岸の新井宿へ着く。
2014/1/11土曜日
東海道線「弁天島」まで舞阪宿から歩き始めです。
弁天島
風の強い日でした、菅笠が壊れそうです
Pm12:19
雁木(がんぎ)は、船着場における階段状の構造物。岸壁と違って、
潮の満ち干や河川の流量変化による水面の上下に係わらず昇降や荷役が出来るため、
近代以前の船着場で多く見られる。
Pm12:26
西町常夜灯
脇本陣 見学できますよ
仲町常夜灯
新町常夜灯
見事に残ってました、案内看板も見事。
の方から来ると 舞阪宿入口
Pm12:50
舞阪の松並木
Pm13:00
一里塚跡 日本橋より67里
Pm2:23
篠原町の火祭り お寺の境内で 修験者が集まり
火伏の修業が有る
新明社
立場跡
街道と街道の中間に休憩の施設として設けられた
ここは立場本陣ともいわれ、
大名等身分の高い人たちが多く休憩しました。
間の宿・篠原宿
麦飯長者跡
Pm15:00
領地境界の碑
秋葉神社常夜灯
Pm15:06
昔は 村社 諏訪大社
Pm15:20
所々に残る 松並木
Pm15:23
二つ御堂
Pm15:31
街中の一角に花が添えてありました
Pm16:00
Pm16:20
本日の旅籠見えてきましたが
まだ少し時間が有ります
浜松城を見学に行きます
Pm16:30
で閉門、残念天主閣には登れませんでした。
旅籠に、草鞋を脱いで近くの居酒屋です
勿論 静岡おでん
浜松餃子
美味い酒・つまみ・楽しい食事でした
リッチモンド・ホテル
少し部屋が広くて、雰囲気は最高でしたよ
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