2014年1月16日木曜日

旧東海道57次 38番・岡崎宿~37番・藤川~36番・赤坂~35番・御油~34番・吉田(豊橋)

 
 
2013/12/14.
岡崎宿 旅籠スーパーホテル 岡崎に

草鞋を脱がせて戴き 疲れが取れました。

7:10旅立ちの時間です
ホテルのフロント
旅籠の帳場から、優しく声をかけてくれました

気を付けて・・・
 スーパーホテル
前日、遅くまで頑張って歩きました
岡崎の城下に入る頃は周りは、真っ暗
岡崎城と八丁味噌の工場ぐらいは見学と
やく2K程戻りました
あらためて 岡崎城の写真見て・・

Am 7:25
大手門
岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市康生町にあった城。

徳川家康の生地である。別名、龍城。

戦国時代から安土桃山時代には徳川氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった

 12月中旬 もみじが鮮やかに 
吾輩を迎えてくれました。

龍城神社


5万石藤



岡崎の矢作川地域で
収穫される矢作大豆と、
知多の成岩(ならわ - 半田市)や饗庭(あえば - 吉良町)でつくられる塩を用いて

主に八丁村で作られていたことから、八丁味噌と呼ばれた。
八丁村は岡崎城より西へ8町離れていたことが村名の由来とされ、

現在の愛知県岡崎市八帖にあたる。
八丁味噌は「三河味噌」や「三州味噌」とも呼ばれ、江戸時代は江戸へも出荷されていた



TVロケ にも使われた蔵町
Am 8:16

さて
 
是より旧東海道を歩きます
 
これでーす ↓

岡崎城下町は二十七曲がりと云われ、
 
岡崎城下は東海道53次の宿場町として、
 
また矢作川の舟運・三州中馬の集散地として、
 
近世を通じて西三河の水陸交通の結節点として繁栄した。




 
岡崎宿は、非常に入り組んでおり、岡崎二十七曲りと称されている。
Am8:46


江戸から数えての三十九番目の宿場である岡崎宿は家康の祖父、
 
松平清康が岡崎城を居城として以来、城下町として発展した。
 
天正18年(1590)岡崎に入部した田中吉政が東海道を城下に引き入れ、
 
様々な整備拡張を行い宿場町岡崎発展の原形を成した。
 
天保14年の数値でみると人口・家族では東海道53宿のうち第7位、
 
旅籠屋数では第3位の東海街道有数の宿場町であった
 
 Am8:50




江戸のお菓子屋さん
 

岡崎宿の東入口を現す木戸のモニュメントがある。

このあたりが岡崎宿の東入口となる



Am9:45

Am9:50

Am9:50
大平一里塚
 

Am9:58
岡崎大平郵便局
 
GPSを合わせるために 公共の建物入れてます
 

大岡越前の領地でした。




商売根性 感心です
大橋商店です

 
Am10:06
 
ご案内板

おおケヤキ
 
Am10:30
松並木


 
 
藤川宿入口
 
これから綺麗な 松並木が
 
Am10:50
 


 
 
江戸から数えて三十七番目の宿場町となる藤川宿。
 

吉良街道 分かれ道
Am10:59

一理塚


Am11:10
 




Am11:27




Am11:57
 

間の宿 本宿村
藤川と赤坂宿の間にあり
 

長屋門

宇都野流碩(蘭方)医者です
 
お昼です
 
Pm12:24
Pm12:46
 
一里塚の碑


 
 
 
Pm12:54

 
 


此処より 本宿村
Pm1:00
岡崎宿と赤坂宿の間の宿
 
Pm1:26
秋葉神社常夜灯
 

綺麗な街並み
Pm1:34
Pm1:41
 
一里塚
 



Pm2:15
 
大きなクスノキ
 

Pm2:12
是より赤坂宿


 





旅籠 大橋屋前にて
 
Pm2:26

立場跡
この後 見附跡 東と西に
木戸があつたが 明治に無くなる
 

Pm2:37
 


Pm2:44
 






東海道 江戸から35番目の宿場町


 

Pm3:07

 

 


 
 

Pm3:23
広がる田園風景

Pm4:01
 


伊奈一里塚
 




Pm4:35
 

Pm4:48
豊橋に入りました(吉田宿)


下地一里塚
Pm5:10
夕闇が迫ってます

PM5:18
 
江戸から34番目吉田宿

 


本日は 豊橋(吉田宿)東横イン旅籠に
お世話になります
 Pm5:47
永正2年(1505)に牧野氏が城を築いて以来の城下町として栄えた。

 本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒の大きな宿場だった。
 
また、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が」といわれ
 
飯盛女の数も多い宿場として知られていた。
 

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