2013/12/14.
岡崎宿 旅籠スーパーホテル 岡崎に
草鞋を脱がせて戴き 疲れが取れました。
7:10旅立ちの時間です
ホテルのフロント
旅籠の帳場から、優しく声をかけてくれました
気を付けて・・・
スーパーホテル
前日、遅くまで頑張って歩きました
岡崎の城下に入る頃は周りは、真っ暗
岡崎城と八丁味噌の工場ぐらいは見学と
やく2K程戻りました
あらためて 岡崎城の写真見て・・
Am 7:25
大手門
岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市康生町にあった城。
徳川家康の生地である。別名、龍城。
戦国時代から安土桃山時代には徳川氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった
12月中旬 もみじが鮮やかに
吾輩を迎えてくれました。
龍城神社
5万石藤
岡崎の矢作川地域で
収穫される矢作大豆と、
知多の成岩(ならわ - 半田市)や饗庭(あえば - 吉良町)でつくられる塩を用いて
主に八丁村で作られていたことから、八丁味噌と呼ばれた。
八丁村は岡崎城より西へ8町離れていたことが村名の由来とされ、
現在の愛知県岡崎市八帖にあたる。
八丁味噌は「三河味噌」や「三州味噌」とも呼ばれ、江戸時代は江戸へも出荷されていた
TVロケ にも使われた蔵町
Am 8:16
さて
是より旧東海道を歩きます
これでーす ↓
岡崎城下町は二十七曲がりと云われ、
岡崎城下は東海道53次の宿場町として、
また矢作川の舟運・三州中馬の集散地として、
近世を通じて西三河の水陸交通の結節点として繁栄した。
岡崎宿は、非常に入り組んでおり、岡崎二十七曲りと称されている。
Am8:46
江戸から数えての三十九番目の宿場である岡崎宿は家康の祖父、
松平清康が岡崎城を居城として以来、城下町として発展した。
。
天正18年(1590)岡崎に入部した田中吉政が東海道を城下に引き入れ、
様々な整備拡張を行い宿場町岡崎発展の原形を成した。
天保14年の数値でみると人口・家族では東海道53宿のうち第7位、
旅籠屋数では第3位の東海街道有数の宿場町であった
Am8:50
江戸のお菓子屋さん
岡崎宿の東入口を現す木戸のモニュメントがある。
このあたりが岡崎宿の東入口となる
Am9:45
Am9:50
Am9:50
大平一里塚
Am9:58
岡崎大平郵便局
GPSを合わせるために 公共の建物入れてます
大岡越前の領地でした。
商売根性 感心です
大橋商店です
Am10:06
ご案内板
おおケヤキ
Am10:30
松並木
藤川宿入口
これから綺麗な 松並木が
Am10:50
江戸から数えて三十七番目の宿場町となる藤川宿。
吉良街道 分かれ道
Am10:59
一理塚
Am11:10
Am11:27
Am11:57
間の宿 本宿村
藤川と赤坂宿の間にあり
長屋門
宇都野流碩(蘭方)医者です
お昼です
Pm12:24
Pm12:46
一里塚の碑
Pm12:54
此処より 本宿村
Pm1:00
岡崎宿と赤坂宿の間の宿
Pm1:26
秋葉神社常夜灯
綺麗な街並み
Pm1:34
Pm1:41
一里塚
Pm2:15
大きなクスノキ
旅籠 大橋屋前にて
Pm2:26
立場跡
この後 見附跡 東と西に
木戸があつたが 明治に無くなる
Pm2:37
Pm2:44
Pm3:07
Pm4:01
伊奈一里塚
Pm4:35
Pm4:48
豊橋に入りました(吉田宿)
下地一里塚
Pm5:10
夕闇が迫ってます
PM5:18
本日は 豊橋(吉田宿)東横イン旅籠に
お世話になります
Pm5:47
永正2年(1505)に牧野氏が城を築いて以来の城下町として栄えた。
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒の大きな宿場だった。
また、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が」といわれ
飯盛女の数も多い宿場として知られていた。